2008年4月17日木曜日

カンボジア大使館でビザ取得

カンボジアへの入国には、ビザ(査証)が必要です。
またパスポートの残存有効期間が3ヶ月以上です。
観光、業務ビザはカンボジア大使館内のビザ部門で受付けています。
これまでビザの申請には、申請と受け取りの二回、大使館に赴く必要がありましたが、新たに郵便によるビザ申請が可能になりました。
申請に必要な書類は以下のものです。

日本国籍の人
●ビザ申請書1枚
●証明写真1枚(35mmX45mm)最近撮影されたもの
●パスポート(残存期間がカンボジア出国日より6ヶ月以上有効なもの)
●ビザ料金:(現金以外の為替、小切手、切手等は不可)。

観光ビザ・・・\2800 US20
業務ビザ・・・\3200 US25

郵便局へ行き、現金書留用の封筒を購入します。
その中にパスポート、申請料、写真を貼った申請書、返信用封筒(切手を貼って、宛先住所、氏名、電話番号を記入)を入れて送ります。
ビザの取得はパッケージツアーを扱っている旅行代理店で代行してもらうことも可能です。
その場合、代行手数料として\4,000~\5,000ほど必要となります。

ビザの延長

ビザは発給日より3ヶ月間有効で1回に限り入国日から1ヶ月間の滞在が可能です。
また、出国してから再度入国する場合は改めてビザを取得してください。

業務"ビジネス"ビザで1ヶ月間、3ヶ月間、6ヶ月間、12ヶ月間延長(数次ビザ)する場合は、入国管理局国家警察(No.5 Oknha Mean Street, Phnom Penh)にて延長手続きをします。

観光ビザで延長する場合は1ヶ月間に限り入国管理局国家警察(No.5 Oknha Mean Street, Phnom Penh)にて延長手続きをしてください。
ビザの延長の手続きは時間がかかります。
急ぐ場合は、旅行代理店に代行してもらうとよいでしょう。

2008年4月16日水曜日

国内・市内移動手段

現状では、カンボジア国内での都市間の移動は飛行機が最善です。
極端なことをいえば、極力、陸上での移動は避けたほうがいいでしょう。
船やバス、あるいはタクシーをチャーターするなどして陸路での移動も可能ではあり、実際、陸路で移動する旅行者が多いのですが、一方で強盗が出没するのも事実です。
そのため外務省では空路移動を勧めています。

一応、陸路で危険性が低いといわれているのは、プノン・ペンからタケオ、コンポン・スプ、コンポン・チュナン、コンポン・チャムです。
プノン・ペン~シエム・リアプ間は、カンボジア航空とプレジデント航空が合わせて毎日、4~5便往復しています。
所要時間は45分、料金は片道でUS$55です。
鉄道は、速度が遅いためお勧めできません。
実際、本数も少ないので旅行者にとってあまり利用価値はないでしょう。
市内の移動はプノンペンなどの都市では流しのタクシーがないため、シクロやバイクタクシーを利用する事になります。

シクロというのは人力自転車です。
のんびり周りの風景を眺めながら移動したいときには、シクロがお勧め。
急ぐときにはバイクタクシーを利用するといいでしょう。
いずれにしても乗る前に料金交渉をする必要があります。
これをせずに乗ると降りる時にトラブルの原因となります。
自転車やバイクをレンタルしての観光も可能ですが、自転車泥棒には要注意。
その他、プノンペンの警官はバイクの外国人に特に厳しいことで知られていますので検問にも十分注意してください。

カンボジアの概観

"クメールの栄光" を象徴するアンコール宮殿は、ユネスコの世界文化遺産にも登録され、世界的に貴重な遺産であるのはもちろん、カンボジアの人たちにとって精神的なよりどころとなっているようです。
カンボジアでは、従来、いずれの政権や政治的勢力とも、アンコールワットをあしらった国旗を用いてきました。
国歌は、"栄えあるクメール民族" です。

カンボジアは人口の約90%をクメール族が占め、その他、中国人、ベトナム人、シャム族、チャム族などの少数民族がいます。
主要な宗教は仏教で、仏教徒が95%を占めるといわれます。
また、主要な言語であり公用語となっているのも、クメール語です。
国名のカンボジアは、9世紀の石碑に出てくるクメール帝国の古い名称で、"太祖カンプーの子どもたち" を意味します。

日本の面積の約半分のカンボジアは、インドシナ半島の南西部に位置し、国土の大部分は、メコン川とサップ川の広大な平野に占められています。
南西部には、シャム湾が広がり、西部にはトンレ・サップ湖があります。
この湖は洪水を防ぐための自然の調節池の役割を果たしています。

稲作を中心とした農業が産業の中心で、5月頃、雨季の開始と共に田植えが始まります。
5月3日は、この国の祝日で "農耕祭" です。
11月頃には収穫を迎えます。
またこの国の重要な輸出品は天然ゴムです。
輸出の大部分を占めています。

2008年4月13日日曜日

気候とホテル事情

カンボジアは、熱帯モンスーン気候に属します。
そのため一年中真夏で高温多湿です。
4~5月は連日最高気温が40度を超すこともあるくらいですが、この時期を避けたとしても、容赦ない強烈な日差しを受ける事に変わりはありません。

帽子やサングラスは必需品です。
5~10月が雨季、11~4月は乾季となります。
ただカンボジアの雨季は激しいスコールが1時間ほど襲ってくるだけです。
スコール来たら傘もレインコートも役に立ちません。
それほど強烈な量の雨、いや滝なのです。
とにかく無駄な抵抗はやめて、室内に逃げ込みましょう。

カンボジアのホテル事情は以前から見れば随分と改善しています。
プノンペンでは、カンボジア停戦が成立し、ホテル建設のラッシュを向かえています。
これからどんどん外国資本の豪華ホテルが登場するはずです。
現状では、プノンペンに外資系企業が集中していることから、5星ホテルもこの地域にあります。
アチャミン(モニヴァン)通りには、中級ホテルも軒を並べます。
また、トンレ・サップ川の名物にもなっている大型船ナガ号には豪華カジノもあります。

アンコール遺跡の観光拠点となるシェム・リアプには、パック・ツアー客を見込んだホテルが建ち始めています。
中級のホテルもちらほらあります。
民家を改造した現地の風情を持った趣のある宿も何件か見かけます。
料金はUS$30前後からですが、設備やサービスを考えると割高に感じるところが多いようです。
1泊US$4ほどの、バック・パッカー向けの格安ホテルやゲスト・ハウスも増えてきつつあります。
カンボジアでは、ホテル料金は米ドルで設定されているのが一般です。
米ドルまたは現地通貨リエルで支払います。

レストランやゲスト・ハウスなどはいつも外国人旅行者であふれています。
情報ノートが備えられ、周辺国の最新情報を得ることができるところも少なくありません。
ただし、どこまで信頼できるか分からない情報もありますのでご利用は自己責任で。

2008年4月10日木曜日

アンコール遺跡群

内戦と混乱が続いたカンボジアでは、アンコール遺跡という世界に誇る観光名所を擁しながらも、その観光誘致が本格的にスタートしたのは1990年代に入ってからです。
しかし和平調印後も国内の移動は困難で、宿泊事情も決して良いとはいえません。
それでも、アンコール遺跡・・正確には、アンコール遺跡群は世界中から旅行者をひきつけてやみません。

●アンコール・ワット
アンコール・ワットは、12世紀、スールヤパルマン二世によって建立された壮大な石造大寺院です。
建築当時は、ヒンズー教ビシュヌ派の寺院でしたが、その後侵入したタイ人が仏教寺院として使用するという歴史を経ています。

●アンコール・トム
カンボジア語で"大きな都"を意味するアンコール・トムは、9世紀後半に建造された大王都です。
バイヨン寺院、王宮、王のテラス、象のテラスなどで構成されています。

●パンテアイ・スレイ
赤色砂岩でつくられた小さな寺院です。
10世紀建造の小遺跡なのですが、その彫刻類はアンコール遺跡のなかでも最高のレベルを誇ります。
特に有名なのは、デバター(女神)像でしょう。
"東洋のモナリザ"と称されています。
アンコール遺跡めぐりの拠点であるシェムレアプ市内からは約30キロほどの距離ですので、是非一度は訪れてみたいところです。

タ・プローム、スラ・スラン、バンテリアイ・グレイ、プレア・カン、ロリュオス・グループ・・ベトナムにはその他にも観光に訪れる価値のある遺跡が30ほどあります。
移動条件など厳しいなかでの観光となりますが、どれも一度は訪れてみたい場所です。

アンコール・ワット

アンコール・ワットは9世紀に即位したヤショーバルマン1世が始めた大環濠都城の建設が約550年間にわたって続けられるなか、12世紀にスールヤバルマン2世によって建立された石造大寺院です。
アンコール・ワットとは、"寺院都市" を意味しますが、本来これはスールヤバルマン2世の廟墓だったといわれています。
寺院は、周りを取り囲む濠と参道、3つの回廊、および中心の5基の塔から成ります。
外周を取り囲む濠は壮大で、東西1.4キロメートル、南北1.3キロメートルにおよびます。
その壮大さに酔いしれながらゆっくりと自分の足で歩いてみることをおすすめします。
そのスケールの大きさを実感するはずです。

アンコール・ワットは、古代インドの影響と土着の文化がその基盤をなしているといわれます。
スールヤバルマン2世は、この寺院により王権の神格化を図る共に、クメール(カンボジア)独自の宇宙観を表現しようとしたのです。
もともとアンコール・ワットは、当時のクメール人の信仰に基づいて建てられた寺院だったのです。
ところがその後、タイ(シャム)のアユタヤ朝の侵入を受け、タイの影響から上座部仏教化し、仏像が安置されるなど仏教寺院としての体裁を整え、今日に至っています。

5基の塔は、高さ60メートルの中央塔の周りに4基の塔を配置し、祠堂となっています。
これは世界の中心のメール山を象徴します。
そして周壁は、雄大な連邦を、環濠は深く、無限な大洋を意味していたといいます。
寺院の最上階にある中心塔は、ヴィシュヌ神が降臨する場です。
そしてここで王と合体したといわれています。

2008年4月8日火曜日

カンボジアの歴史

海外、特に文化遺跡を訪れるときには、その国・その地域の歴史を知っておくと旅が断然楽しく興味深いものとなるはずです。

○アンコール王朝(=クメール王朝)の台頭とアンコール大遺跡群
5世紀以前、現在のカンボジアは、メコン川中流域、南ラオスのチャムパーサック地方を故郷とするし、後にインドシナ半島を南下しながら、クメール真臘国として発展していきました。
紀元前後からインド文化の影響を受け、港市国家としてインドシナ半島南部に栄えました。
外港のオケオは海のシルクロードの貿易中継点にあたり、インド、中国、そしてローマ帝国とも交流があったといわれます。

その後、5~6世紀頃からクメール真臘国は着実に版図を拡大し、7世紀前半には現在のカンボジアの領土を範囲とするまでになりました。
一時期、国内分裂の危機を迎えながらも、9世紀に再統一されたのです。

9世紀に即位したヤショーバルマン一世はアンコールの地を王都と定め、小丘プノンバケンを中心とした4キロ四方の大環濠都城を建造したのです。
以後、都はヤショーダラプラと呼ばれるようになりました。
これは "ヤショーバルマン王の都城"を意味する言葉です。
その後約550年にわたり、都城と寺院の建設は続いていくことになりました。
それらがアンコール・トム(都城)と、11世紀にスールヤバルマン二世によって建立された大寺院、アンコール・ワット(寺院)をはじめとするアンコール大遺跡群であり、現在多くの観光客が訪れる観光名所になっています。

2008年4月7日月曜日

タイとカンボジア

カンボジアと比べると、タイは経済的にも文化的にも発展し、日本からもアクセスしやすい国です。
カンボジアを訪れるパック・ツアーのなかにもタイとカンボジア、あるいはベトナムの3カ国をセットにして一度に周ってしまおう! というものさえあります。
アンコール遺跡は、タイとカンボジアの両方にまたがります。
実際にはベトナムのメコンデルタ、ラオスの一部も含め、タイの多くの部分に遺跡の一部が及んでいるといっていいでしょう。
これは、これらの地域全体がアンコール王朝時代のカンボジア支配下にあったためです。

そのためにアンコール・ワットは、他に類を見ない圧倒的な壮大さ、美しさを誇ります。
タイを訪れたあとでカンボジアを訪れると、どこかで観たような感覚、つまり既視感ですね・・を強く感じる人も多いのではないかと思います。
アンコール・ワット、アンコール・トム、そして小さな寺院でありながらアンコール遺跡のなかで最高のできと称されるパンテアイ・スレイ、いずれもタイのアンコール遺跡の規模を大きくしたような印象を受けます。

タイとカンボジアは、今でもとても関係の深い国です。
タイとの国境付近では、タイ語を流暢に操るカンボジアム人が多くみられます。
逆に、タイの側にも、象祭りで知られるスリンの象使いといった、カンボジア系の人が多くいます。
このあたり一帯の歴史を理解した上で遺跡を周ると、旅行をより深く楽しむ事ができます。

カンボジアの食事

カンボジアという国は全人口のうち90%はクメール人です。
その他に華僑(中国人)、ベトナム人、チャム人、および山岳の小民族などで構成されています。
住民の80%以上は農村居住者で、自然のサイクルにのっとった生活を送っています。

カンボジアの食事は米が中心で、それにサムローというスープ、2、3の副食がつくのが一般的です。
農村ではそれより簡素な食事が多いようです。
中国料理の影響も受けているようです。

以下、代表的なカンボジア料理をご紹介します:

●サムロー
酸味のある果実の風味が豊かなカンボジアのスープです。
レモンやパイナップルなどの柑橘類で酸味をつけます。
薬草類を入れることもあります。
具は主に鶏、牛、豚などの肉類が入ります。

●ヌンバンチョ
稲作中心のカンボジアでは、麺も米粉からつくるのが一般です。
ヌバンチョは、米粉からつくられた細い面です。
ベトナムでフォーと呼ばれているもののガンボジア版です。
カレー味のスープや魚のスープなどに薬草をかけて食べます。

●アモック
カンボジアは、湖と川が多く水に恵まれた地域です。
トンレ・サップ湖はメコン川とつながっています。
そのためカンボジアの料理には川魚が多く用いられます。
アモックは、川魚をバナナの葉にくるんで香辛料と共に蒸した料理です。

●調味料(トック・トレイとプラホック)
また、カンボジアの料理においては、魚から作られた調味料が重要な位置を占めます。
たとえば、トック・トレイは、魚から作られたしょうゆの一種です。
ベトナムのニョクマムに相当するものです。
その他、魚を塩漬けにしてペースト状にしたプラホックも農村ではよく使われる食料です。

2008年4月6日日曜日

アンコール遺跡の再発見

5、6世紀から徐々にその勢力を広げていったクメール人は9世紀、ヤショーバルマン一世によって4キロ四方の大環濠都城を建造したことでますますその勢力を確固たるものにしました。
王都は、その後 "ヤショーバルマン王の都城" を意味する"ヤショーダラプラ" を呼ばれ、550年間にわたって都城と寺院が建設されていきました。
これらが今日のアンコール遺跡群として残っているのです。
王都がアンコール・トム、そして12世紀に建てられた大寺院がアンコール・ワットです。

その後、アンコール王朝はジャヤバルマン七世のもとで最盛期を迎えましたが、15世紀にシャムのアユタヤ朝によって攻略されました。
アンコール王朝はそれから苦難の時代を迎え、都を点々とすることになったのです。
では? 9世紀「ヤショーバルマン王の都城」と呼ばれ、550年間もかけて建造されていったあのアンコール遺跡群はその後、どうなってしまったのでしょうか?

15世紀中期に、プノンバケンの小さな丘の4キロ四方の大環濠都城、アンコールを首都として栄えたアンコール王朝(クメール帝国)は、タイのアユタヤ朝との戦いに敗れたあと、急速に衰退し、アンコールも都市としての機能を失いました。
そしてやがて原生林におおいかくされてしまったのです。
19世紀後半、フランスの博物学者がジャングルのなかでこの遺跡を再発見しました。
政府の援助を受けることなく、個人的な経費でインドシナ全域の科学的調査を行ったのがアンリ・ムオーその人です。

精霊崇拝アニミズム

カンボジア国民の95%が仏教徒だと言われていますが、上座部仏教とともに人びとの生活に、精神に、深く根付いているのが"ネアク・タ" という、一種の精霊崇拝(アニミズム)です。
これは土地神や先祖神の事で、小さな祠をつくって祀られていることが多いです。

●トロット

季節ごとに行われる行事や伝統芸能には、精霊崇拝の精神を組み込んだものが多くあります。
たとえば、カンボジアのお正月(4月中旬)に催される民俗行事に "トロット" というものがあります。
新年の神々を迎えて、今年の幸福を祈願し、踊りを行うのです。
精霊崇拝(アニミズム)に仏教的要素が加わって形成された農村の伝統行事のひとつです。

●アプサラダンス
アプサラは、神と人間との仲介者です。
インドでは "水の精" を意味しますが、カンボジアにおいては天女、天使に近い存在として位置づけられているようです。
踊りは神への賛美としてささげられます。
現在は、国の文化政策の一環として学校の科目としても採用されています。

かつてのアンコール王朝の都であり、アンコール遺跡群の観光拠点となっているシエムリアプ市内に、カンボジア工芸技術学校"アーティザン・ダンコール" があります。
カンボジアの工芸品の工房と並び、アプサラダンス教室を見学することができます。
アンコール王朝の隆盛と衰退、シャムから受けた侵略、その後近代の戦争と略奪、虐殺と、悲惨な歴史を経て、それでも活気を取り戻そうとしているベトナム国民の活気ある姿を見ると、何か私たち日本人が失ってしまったもの思い出させてくれるような気がします。

2008年4月5日土曜日

スパエク 影絵劇

カンボジアに限らず、東南アジア地域一帯の文化はインドの影響を受けています。
特にインドの長編叙事詩"マハーバーラタ"と"ラーマーヤナ"はタイ、インドネシア、そしてカンボジアにおいて、土着の文化や民話を織り込み、それぞれの地域版ともいうべきものを生み出しています。
カンボジアにおいて、これら2大インド叙事詩は影絵劇となって発展しました。
"リムッケー" は、カンボジア版 "ラーマーヤナ" として知られています。

スパエク(影絵劇)は、"ラーマーヤナ" 物語を題材にした民衆影絵劇です。
大まかな筋は決まっていますが、台本はありません。
ほとんど即興で演じられ、観客はその場の軽妙なやりとりを楽しみます。
それが現代に生きる古典影絵 "スパエク"の大きな魅力だといえます。
農村のひとつの娯楽として定着しており、祝い事や収穫後などに寺の境内で行われるのが一般的です。

カンボジアは、首都プノンペン以外は小さな都市ばかりであり、アンコール遺跡群のあるシエムレアプといえども例外ではありません。
カンボジアの全人口のうち80%は農村に住んでいます。
農村の生活は農事暦によって規定されていて、農民にとっては自然のサイクルこそが道徳であり、秩序であると考えられています。
メコン川とトンレ・サップ湖、そしてシャム湾と自然の恵みが豊かなカンボジアでは、今も昔も農民が国家を支えています。

あれほどの隆盛を極めたアンコール王朝が15世紀半ばにシャム(タイ)のアユタヤ朝に侵略され、その後、近代においては1970年以来、戦争と虐殺、そして今もジャングルに埋まったままになっている地雷など、悲惨な経験を経てきているにもかかわらず、楽観的で、くよくよしない性格といいわれる農民たちが力強く生活を営んでいる姿をみると、日本では見る事のできない力強さを感じる事ができます。

トンレ・サップ湖

カンボジアを訪れる観光客のなかには、東南アジア最大の湖でもあるトンレ・サップ湖の美しい景色を楽しみにしている人も多いのではないかと思います。
トンレ・サップ湖の湖上クルーズは、カンボジア旅行の締めくくりに是非お勧めしたい観光ポイントです。
トンレ・サップ湖は支流を通じてメコン川とつながります。
11月~4月にかけてカンボジアは乾季を迎えます。
また5月~10月には雨季です。
トンレ・サップ湖は、乾季には水が無くなり、雨季にはメコン川から逆流します。

メコン川にとっては天然の洪水調節池の役割をしているのです。
雨季になるとトンレ・サップ湖の湖水面積は乾季の3倍以上に広がります。
トンレ・サップ湖は同時にカンボジアの人たちの胃袋を支えているともいえます。
湖岸には野生の浮稲があり、世界有数の淡水魚漁場として知られているのです。
乾季には定置網漁が行われます。
川や湖で豊富な魚がとれるカンボジアでは、調味料としても魚が重要な役割を担います。
ブラホックは、湖や川からとれた小魚を、樽に塩漬けにしてペースト状にした調味料です。
秋田のしょっつると同じようなものです。

そのままお米といっしょに食べることもありますが、卵焼きや野菜炒めなどにも活躍する万能調味料です。
乾季の始まる11月ごろからカンボジアでは、家族総出で漁に出ます。
プラホックをつくるための小魚をとるのです。
そしてとった魚を樽付けにします。
地域によっては3月まで続く大作業となります。
カンボジアの農村にとって、欠かせない年中行事です。

2008年4月3日木曜日

宗教生活と礼儀作法

カンボジアは、国民の95%が仏教徒だといわれている国です。
ポル・ポト政権時代には仏教が弾圧を受けました。
しかし現在は、その圧政からの再建中です。
そもそも農村部の人たちは概して信心深く、寺院が生活の一部として機能していました。
祭りや儀礼も寺とは切り離すことができないものでしたし、寺が社会教育の場になっており、そこで成年教育や道徳教育がなされていたのです。

カンボジアには、チュバ・クラムという礼儀作法集がありますが、これは仏教道徳や社会訓話などを収集したものです。
カンボジアには、ポン・プレア という日があります。
この世に善行を行う日とされ、朝、地域の人たちが僧侶の説教を聞くために集まるのです。
供え物をささげ、僧の前にひれ伏して功徳を積みます。

もともとアンコール遺跡群のなかで、ひときわ巨大な大寺院として12世紀に建立されたアンコール・ワットですが、そもそもこの寺院は建立当時、クメール人の信仰していたヒンズー教に基づいて建てられたものだったのです。
後に、15世紀中頃からシャム(タイ)のアユタヤ朝など、タイの勢力が及ぶなか、上座部仏教化して仏像が安置されるようになり、仏教寺院としての体裁を整えたのです。

その他、カンボジアには チュバ・プロ と チュバ・スレイといって、成年の男女になされる道徳教育があります。
チュバ・プロ は男子訓であり、チュバ・スレイ が女子訓です。
道徳教育が廃れつつあるといわれる日本が見習うべきこともあるはずです。

2008年4月2日水曜日

カンボジアの小春巻き

カンボジアの食事はお米が中心です。
またトンレ・サップ湖など淡水魚の豊富な漁場を有することから、魚を使った料理や調味料を多く使った料理が特徴です。
お隣のタイでは唐辛子を多用する料理が多く、辛すぎて日本人の味覚には合いませんが、カンボジアの料理はエスニック料理には珍しく優しい味を楽しむことができます。
日本でも手軽に手に入る材料を使って、カンボジアでおなじみの料理に挑戦してみてはいかがでしょう。
普通の春巻きの1/4ほどの小さな春巻きです。

小春巻(チャージョー)

◆材料(40個分)
・豚挽き肉・・・200g
・小えび ・・・50g
・たまねぎ・・・1/4個
・春雨・・・20g
・にんにく・・・1かけ
・バターピーナッツ・・・大さじ2
・春巻きの皮・・・10枚
・塩、砂糖、小麦粉・・・少々

●たれ
・砂糖
・塩
・酢
・トゥクトライ(魚醤油)
・にんにく1片
・赤唐辛子

◆作り方
下準備
・エビ・・・エビは、殻と背わたをとって包丁でたたいてミンチにします。
すり鉢ですってもOKです。

・春雨・・・春雨はお湯でもどし、よく水を切ります。
その後、みじん切りにします。

・玉ネギ、ニンニク・・・玉ネギとニンニクはそれぞれみじん切りにします。
・バターピーナッツ・・・ミキサーまたはすり鉢で細かくします

作り方

1.ひき肉と、それぞれ下準備したエビ、春雨、玉ネギ、ニンニクをよく混ぜます。

2.普通サイズの春巻の皮を正方形に4等分します。
1のひき肉を少しずつのせて巻きます。
水溶きの小麦粉をのりにして止めるとうまくとまります。

3.揚げ油で皮がきつね色になるまで揚げてお皿に盛ります。

●たれの作り方
水の中に砂糖、塩を入れて、火にかけます。
よく混ぜ、酢、トゥクトライ、みじん切りのにんにくを加えます。
ピリカラがお好きな方は、薄切りの赤唐辛子を加えるとよりエスニックな味になります。
トゥクトライ(魚醤油)があればもちろんいいのですが、無い場合、または魚の生臭さが気になる人は、普通の醤油で代用する事もできます。

2008年4月1日火曜日

ガンボジアと日本人の交流

カンボジアには、17世紀初めごろからプノンペンやピニャールに日本人町が形成されるなど、古くから日本と交流があったようです。最盛期には、数百人の日本人がこの地に居住していたと言われます。
朱印船貿易によるものでしたが、日本の鎖国以後交流は途絶え、日本人町も消滅したのでした。
また、今では、カンボジアの観光の要所となっているアンコール遺跡群ですが、密林のジャングルのなかから再発見されたのは約100年前のことです。
その世界的文化遺産であるアンコール・ワットに落書きをするなど、とんでもないことですが、実は江戸時代の初めに日本の武士がこの場所を訪れていたことが、遺跡に残された落書きから明らかになっています。

当時、日本人はアンコール・ワットを祇園精舎の遺跡と勘違いしていたようです。
コーサラ国にあったと伝わる歴史的祇園精舎は、実際には今のインドのウッタンプラデシュ州にあったとされ、現在は整備されて観光地となっています。
ところが江戸初期、加藤清正の家臣の子が、先祖の菩提を弔うためにこのアンコール・ワットに仏像を奉納したというのです。
なんとそのことが落書きに書かれていたのです。
祇園精舎というのは、釈尊が説法した僧院です。

1632年にアンコール・ワットを訪れた森本右近太夫一房は、アンコール・ワットの大寺院を見て、その壮大さに圧倒されてしまったのかもしれません。
てっきり祇園精舎と勘違いして参拝し、仏像を奉納しました。
そして墨で壁に落書きを残したようです。

2008年3月31日月曜日

アンコール・トム

アンコール遺跡の観光拠点であるシェムリアップへは、カンボジアの首都プノンペンから空路で入るのが一般的です。
カンボジア航空が毎日3~4便往復運行しています。
所要時間は50分程度です。
その他、タイから直接カンボジアのシェムリアップへ入るルートもあります。
バンコクからカンボジア航空、バンコク・エアウェイズ、タイ航空が運航しています。
所要時間は約1時間です。

巨大な都城であるアンコール・トムは、9世紀に即位したヤショーバルマン一世がアンコールの地王都と定め、4キロ四方の大環濠都城を建造したことに始まります。
アンコール・トムというのは クメール語で"大きな都市" を意味します。
ヤショーダラプラ(ヤショーバルマン王の都城)と呼ばれ、それから約550年間にわたって、都城と寺院が建設されることになるのです。
アンコール(クメール)王国は、12世紀末から13世紀初め、ジャヤバルマン7世のときに最盛期を迎えます。

アンコール・トムは、大寺院アンコール・ワットの北に隣接し、周囲を濠で囲まれています。
内部には王宮や寺院など、80を超える石造遺跡があります。
その代表的な建物がバイヨン寺院です。
バイヨン寺院の49ある尖塔の上部には観音菩薩の4面像が刻まれています。
つまり、196にもなるのです。
普段、宗教とは無縁の生活を送っている私でも四方八方から巨大な菩薩の顔に囲まれると、敬虔な気持ちになるから不思議です。
かすかに微笑むその笑いは"クメールの微笑"と呼ばれ、カンボジアの500リエル紙幣に印刷されています。

インド文化の受容

インド文化は、東南アジア一帯に大きな影響を与えました。
カンボジア(クメール)は、紀元前からインド文化の影響を受け港市国家として発展し、インドシナ半島南部に栄えました。
海のシルクロード上の貿易上の中継地点にあったことから、インド、中国、そしてローマ帝国とも交流があったようです。

インドは紀元前後からモンスーンを利用した貿易船によって現在のカンボジアの地を訪れ、土着の文化にインド的世界観を浸透させました。
そしてこの文化基盤がアンコール時代の繁栄の基礎をなしたのです。

●ラーマーヤナとマハーバーラタ

インドから伝わった文化のなかでも、カンボジア民衆に愛されたのは、インドの長編叙事詩"ラーマーヤナ" と"マハーバーラタ" です。
このふたつの冒険と闘争の物語は、タイにおいてもインドネシアでも民話などを取り入れながら、それぞれの地域版を生み出していきました。
カンボジアにおいても同様で、カンボジアの農村で独自の物語として展開することになります。
カンボジアの人たちは、この物語をもとに影絵劇 "スパエク"をつくり、民話なども取り混ぜていったのです。
カンボジア版の"ラーマーヤナ"物語として"リムケー"が知られています。

●ペッサンタラジャータカ

"リムケー" が "ラーマーヤナ" のカンボジア版であるように、カンボジアには他にも外来の文化を自国版に置き換えたものがあります。
それが "ペッサンタラジャータカ" です。
釈迦誕生以前の前世時代の物語である"ジャータカ"(本生譚)の一部をカンボジア版に置き換えたものです。

2008年3月30日日曜日

アンコール・ワットの壁画彫刻

アンコール遺跡群のひとつ、アンコール・ワットは、12世紀に建立された巨大石造寺院です。
寺院は、周りを取り囲む濠と参道、3つの回廊、および中心の5基の塔から成ります。
東西1.4キロメートル、南北1.3キロメートルにおよぶ外周の濠を自分の足で歩いてみると、その壮大さを実感する事ができます。

アンコール・ワットは、古代インドの影響と土着の文化がその基盤をなしているといわれます。
現在では、仏教寺院としての体裁を整えていますが、建立当時は、クメール人(カンボジア人)が信仰していたヒンズー教の寺院だったのです。
インドの影響とヒンズー教の影響の痕跡は、その3つの回廊に掘られた壁画彫刻にみることができます。
3つの回廊では、緻密で豪華絢爛なレリーフに圧倒されます。

第1の回廊には、古代インドの長編叙事詩 マハーバーラタ や ラーマーヤナ などに取材された物語が彫られています。
第2回廊には、ヒンズー教神話の天地創造神話、「乳海攪拌図」があります。
「乳海攪拌図」は、左半分には阿修羅、右半分には神々がいて、ナーガ(大蛇)の胴体で綱引きをしているものです。
足元には、魚やワニがうごめき、頭上にはアプサラ(天女)が踊っています。

綱の中心で指揮をとるのは亀の背にのったヴィシュヌ神です。
そして第2回廊から第3回廊へと向かう中では、内壁のデバダ神が柔和な表情で迎えてくれますが、それは見ほれてしまうほどです。
優雅が踊り、華奢な髪飾り その繊細さは神々しさを放っています。
インド叙事詩やヒンズー教の物語の知識を持った上で見てみるると、実に見ごたえのある壁画彫刻であることが実感できます。

2008年3月29日土曜日

タ・プローム

アンコール王朝の王都として9世紀に始まった大環濠都城の建設は、その後550年間にわたって建設が続けれら、アンコール・トム(都城)、12世紀にアンコール・ワット(大石造寺院)が建設されました。
15世紀に最盛期を迎えたアンコール王朝でしたが、15世紀半ばにタイ(当時はシャム)のアユタヤ朝の侵略をうけ、衰退の一途をたどります。
王都は陥落し、都は各地を点々とすることになりました。
そして、かつてあれほど栄華をきわめたアンコールは都市としての機能を失い、廃墟として捨て置かれることになりました。
ジャングルの奥地で長年の眠りに就くことになったのです。

そのアンコールの遺跡群は今から100年ほど前、ひとりのフランス人博物学者アンリ・ムーオによって再発見されることになったのです。
彼は、1860年にジャングルの奥地、原生林に埋もれたアンコール・ワットを初めて目にしたときの感動を次のように述べています
(『カンボジア・ラオス諸王国王旅行記』より引用):
"森の彼方の広大な地域に、円屋根や五つの塔を見つけた巨大な柱廊をそびえていた。
(中略)紺碧の空のもと静寂の背景をなす森の深緑の上高く、美しくまた荘重なこの建物の力強い線を見出したとき、私はその巨大な輪郭に一種族全体の墳墓を見出したような感じを受けた"

タ・プロームは、発見当時のままの姿を残す寺院です。
12世紀から13世紀にかけてヤバルマン7世が母親を弔うために建立しました。
発見当時のままガジュマルの太い根が張っており、ジャングルのなかで自然と共存してきた遺跡の過去を物語っているようです。

2008年3月28日金曜日

パンテアイ・スレイ

アンコール・ワットから40km北西にある パンテアイ・スレイ は、10世紀に建立された小さな遺跡です。
薄紅色の砂岩で造られた寺院は、小さいながらもそこに訪れる観光客が息を呑むほどのすばらしい魅力を放っています。
その壁面はヒンズー神話をモチーフにした華麗な装飾で埋め尽くされています。
その彫刻は、アンコール遺跡のなかでも最高の出来といわれるほどの素晴らしさです。
特に中央祠堂には、"東洋のモナリザ" と呼ばれる、デバダー(女神)や、守門神ドゥヴァラパーラのレリーフが残されています。
繊細で優美、かつ荘厳な美しさに、アンコール遺跡を訪れた人たちのなかには、ここが最も感動した 感想を述べる人も少なくありません。

アンコール・トムやアンコール・ワットのある地区周辺からは、バイクタクシーを使ってのアクセスも可能です。
所要時間は3時間程度です。
しかし道中の安全には不安が残ります。
道路事情が悪いだけに留まらず、強盗などの犯罪の危険が伴うのです。
外務省は観光を控えるよう呼びかけていますが、見逃すには惜しいところなんです。
もし訪れるときには、事前に現地での最新かつ確実な情報を入手してください。

町の情報はツーリスト・オフィスで入手する事ができます。
遺跡群の地図も手に入ります。
アンコール遺跡群の入場券も扱っていますので、シエムリアプに到着したらまず先に訪ねるといいでしょう。
午後は閉まっていることが多いので要注意です!
その他、ホテルやレストランなどでは情報ノートが置かれ、旅人同士の情報交換ができるようになっているところも珍しくありません。

カンボジアの現在

貧困、内戦、飢餓、難民、そして地雷。
日本人がカンボジアという言葉から連想するイメージは、暗いものばかりかもしれません。
ようやく戦火が収まったとはいえ、20年間近くこの国を舞台に繰り広げられていた戦争は、今もなお、あまりも痛々しい傷跡を残しています。
市場経済の導入は、人びとに格差をもたらしました。
貧富の差は、この国においては私たちの想像を絶するほどです。

地雷の撤去が必死に進められているにもかかわらず、今もなお、ジャングルには数多くの地雷が残ったままです。
その犠牲者の多くは、子どもたちです。
地雷を警告する文字が読めないために、危険区域に入ってしまうからです。
祖国を離れた、離れざるを得なかった人びとは数知れません。

これらはすべて現実です。
しかし、カンボジアは今、元気を取り戻しつつあります。
悲しいことですが、カンボジアではポル・ポト時代に男たちがたくさん殺されました。
そのため現在のカンボジアには、女性と子どもたちの姿ばかりです。
それでも、働き手を失ったこの国で女性たちはたくましく一家を支え、国を支えています。
路地には、子どもたちの屈託のない笑顔が溢れています。

稲作を中心とした農業がこの国の産業の中心です。
5月の雨季の開始と共に、田植えが始まります。
11月頃には黄金の稲穂が頭を垂れ、収穫を迎えます。
雨季といっても猛烈なスコールが1時間ほど襲ってくる程度です。

今、まさに発展のスタートを切ったこの時期のカンボジアを訪れ、その活力を目の当たりにする事で、もしかしたら私たちが忘れてしまっていたなにかを得られるかもしれません。

アンコール王朝の隆盛と衰退

アンコール王朝(クメール王朝)は、現在のカンボジア人(クメール人)が5、6世紀から勢力を拡大し、9世紀にヤショーバルマン一世が巨大な都城、ヤショーダラプラ(ヤショーバルマン王の都城)を建設したことからますます隆盛を極めていきます。
現在のアンコール遺跡群は、ヤショーバルマン一世の建築から約550年間にわたり建築され続けてきた都城(アンコール・トム)であり、11世紀に建設された大寺院(アンコール・ワット)なのです。

○アンコール王朝の最盛期

アンコール王朝は一時期、インドシナ半島に伸張してきた近隣勢力によって占領されたこともありましたが、すぐに復権し、ジャヤバルマン七世の統治下で、空前の繁栄を実現しました。

その勢力は、インドシナ半島の大部分を占めるほどになったのです。
王は道路網を整備し、街道には121箇所の宿泊所を設置したといいます。
さらに国内には102箇所に病院が建てられたのです。

○アンコール王朝の衰退

ジャヤバルマン七世の統治下で最隆盛を極めたアンコール王朝でしたが、ジャヤバルマン七世の死後、その国力は急激に衰退しました。
15世紀(1432年)には、シャムのアユタヤ朝によって攻略されました。
そしてアンコール王都は陥落しました。
その後、もともとプノンバケンの小丘にあった都は、スレイサントール、プノンペン、ロベック、ウドンへと点々とすることになります。
そして西のシャム(タイの勢力であるアユタヤ朝、バンコク朝)、東のベトナム(グエン朝)に領土を侵食されながら近代へと至ったのです。

魅力的なカンボジアの小都市

カンボジアの都市

カンボジアの都市はどこも規模が小さいのが特徴です。
首都プノンペン、アンコール遺跡観光の拠点でありかつてのアンコール王朝の都シェムリアップ、港市コンポンソム、北西部の大穀倉地帯バッタンバン、そしてメコン川流域のコンポンチャムなど魅力的な都市がたくさんあるのですが、首都プノンペンを除くと、人口は2、3万人程度の小規模な都市がほとんどです。
カンボジアの都市は、もともと河川沿いの都市(港市)が商業的に発達してきたものや、フランスの植民地時代に州都として人工的に開発されたものが大部分です。

現在も人口の大部分は農村部に居住しています。
カンボジアの地図をみると、"コンポン" という地名がよくついていることがわかるでしょう。
コンポンというのは、港や渡し場の意味です。
川の近くの都市には多く見られます。
たとえば、フランスの援助によって1960年につくられたカンボジア最大の貿易港、"コンポンソム"、プノンペンから北西約100キロのメコン川沿いにある"コンポンチャム"などがそうです。

コンポンソムは現在、特別市に認定されています。
美しい海岸線がタイランド湾(シャム湾)に続いています。
高級別荘地としても有名です。
一方、コンポンチャムは、メコン川の恵みを受け、天然ゴムの栽培が盛んです。
米、トウモロコシなどの作物の集積地であり、河川交通の要所にもなっています。
カンボジアを訪れる旅人は、首都プノンペンやアンコールの都シェムリアップだけしか訪れない人が多いようです。
しかしメコン川やトンレ・サップ湖など、水域の魅力を訪ねる旅もお勧めです。

プノンペンとシェムリアップ

首都プノンペン

"プノンペン" というのは クメール語で "ペン婦人の丘" を意味します。
熱心な仏教徒であるペンという豪族の夫人が、洪水のときに流れ着いた四体の仏像を小高い丘 "プノン" に安置したという伝説からこの名がついたという事です。
王宮の前でメコン川とサップ川が合流し、すぐ下流でメコン川本流とバサック川に分流する地点、チャド・モックに位置します。
チャド・モックとは、"4つの面" を意味する言葉です。
現在は商業の中心都市です。
かつてはアンコールの外港として栄え、17世紀には日本人町もあったとされています。

シェムリアップ

"シェムリアップ" というのは、"シャム(タイ)の征服" という意味です。
1907年にフランスがタイから譲り受けるまでは、この地はタイ領だったのです。

シェムリアップは、アンコール遺跡群のある町として知られています。
大環濠都城アンコール・トム、巨大な寺院アンコール・ワットを始めとするアンコール遺跡群は、東南アジアで最大級の石造大伽藍群です。
アンコール王朝は、現在のタイであるシャムのアユタヤ朝に15世紀に侵略を受ける前、ジャヤバルマン7世の統治下で最盛期を迎えました。
ジャヤバルマン7世は道路網を整備して街道に121箇所の宿泊所を置き、国内の102箇所に病院を建てたといわれます。

かつてこれほどの隆盛を極めた王朝ですが、その後衰退の一途をたどり、19世紀にフランスの博物学者アンリ・ムオーによって、アンコール遺跡群が再発見されるまで、ジャングルのなかで静かに眠っていたのです。

現在シェムリアップは、人口約6万人程度の小さな都市であるにもかかわらず、森と湖と遺跡を訪れる旅人であふれ、この国最大の観光地となっています。

現地ツアーを活用する

カンボジアは、アンコール遺跡のあるシエムリアプでさえ比較的小さな都市のため公共交通が発達していない事もあり、陸上の移動は不便を強いられます。
また、遺跡周辺は比較的安全とはいえ、観光ルートから外れると危険がいっぱいです。
地雷もあり、強盗に襲われたという話も尽きません。
これは脅しではなく現実に起こっているのです。
そういった理由から、よほど現地の事情に詳しくない限り個人旅行、特に女性の一人旅はお勧めできません。
日本からのツアーでない場合は、現地の旅行社に連絡し、現地ツアーへの申し込みを検討してください。

たとえば、カンボジアの旅行社、ロコモトラベルでは、さまざまなツアーを催行しています。
日本人のスタッフも駐在していますので、事前に、または現地についたら連絡をとってみるとようでしょう。

ロコモトラベル 現地事務所
プノンペン事務所
#12, 315 St,. Sangkat Boeung Kok 1, Khan Toul Kok, Phnom Penh, Cambodia
Tel. +855-23-881145
Fax. +855-23-366600

シエムリアプ事務所
No.103, Mondol I Svay Dangkum,Siem Reap
Tel.+855-12-752422
Fax.+855-63-964910

現地発ツアー(一例)

○トンレサップ湖クルーズ
○バンテイスレイ観光
○半日コース(プレヤカン、ニャックポアン、タソム、東メボン、プレループ)
○ロルオス遺跡群(バコン、プリアコー、ロレイ)
○アンコールワット半日観光
○アンコールトム半日観光(南大門、バイヨン、バブーオン、王宮跡、ライ王のテラス、象のテラス)
○アンコールワット日の出鑑賞
○クバールスピアン(クレーン山)観光

その他、ホテルでの料理教室や、空港の送迎などもあります:
○クメール料理教室(ラッフルズグランドホテル)
○シエムリアプ・空港送迎

詳細は直接、現地のロコモ事務所にお尋ねください。

2008年3月27日木曜日

名物カボチャプリン

カンボジアの名物デザートといえば、かぼちゃの皮を器に使ったカボチャプリンが有名です。
ココナツミルクが入っているのが特徴です。
卵がたっぷり使われていて、器のカボチャごと食べられる栄養満点なデザートです。

その豪快さとユニークさで、是非挑戦してみたい気持ちにさせられます。
作り方はいたって簡単。
お子さんが喜ぶこと間違いなしです。
パーティなどで用意すると大いに盛り上がると思います。

カボチャプリン
◆材料
・カボチャ・・・中1個
・卵・・・7個
・ココナツミルク・・・200CC
・砂糖・・・100g
・塩・・・小さじ1/2
・小麦粉・・・大さじ1

◆作り方
1.器として使うカボチャを用意します。
カボチャはナイフでへたの部分を3~4センチ四方に切り取ります。
へたはあとでふた代わりに用いるので捨てずにとっておきます。

*カボチャは硬いので、全体を水にくぐらせたあと、レンジで1分加熱すると柔らかくなって、へたをくり抜きやすくなります。
*ナイフを入れるときは、少し中心に向かって入れるととりやすいです。

2.スプーンで種とわたをきれいにくり抜きます。
水洗いしてよく水気をきります。

3.フィリングを作ります。
卵を割りほぐし、ココナツミルク、砂糖、塩、小麦粉を混ぜ合わせます。
裏ごし器でこすと出来上がりが滑らかです。

4.2でくり抜いたカボチャのなかに3を流し入れます。
裏ごし器でこしながら入れるといいです。

5.ヘタをのせ、蒸し器で蒸します。

6.最初は強火で10分位、後は弱火にして1時間ほど蒸します。
竹串を真ん中に刺してみて、何もついてこなくなれば出来上がりです。
放射状に切り分けてお皿に盛って出来上がりです。

在カンボジア日本大使館

日本人旅行者が事件に巻き込まれてしまったり、あるいは何か危険な目に逢ったりしたとき、現地で頼りになるのは在カンボジアの日本大使館です。
カンボジアに限りませんが、日本国大使館では現地に居住する、または旅行する日本人向けに危険情報を提供しています。
以下、旅行者にとっても非常に有用な注意を引用してご紹介します。

カンボジア旅行出発前に、外務省の危険情報とともにカンボジア日本国大使館のホームページをご覧になることをお勧めします。

「防犯の手引き」

安全のための3原則
安全のための3原則とは、"目立たない"、"行動を予知されない"、"用心を怠らない" ことです。
これは当然のことのようにも思えますが、この3原則を確実に守って生活することが最も重要であり、同時に最も困難なことかもしれません。

○目立たない
外国人は常に地元の人々に注目されています。
何気ない言動が一際目立ったり、大きな反感を買ってしまう場合もあるので、日本での常識や生活様式をそのまま持ち込まないように注意しましょう。
例えば派手な服装・装飾品を身に着けたり、現地では珍しい車に乗ったり、公共の場(レストラン、ショッピングセンター、ホテルなど)で周囲をはばからず当国の政治、宗教、文化、習慣、生活環境などに批判を加えることは、目立ったり反感を買うばかりでなく、そうした噂が犯罪者等の耳に入って、標的に選ばれてしまう危険性をも生みかねません。

○行動を予知されない
行動のパターン化(通勤、買物、レジャー、外食等の際に移動ルートや時間が定型化すること)は犯罪者等の襲撃計画を容易にします。
移動の際のルートや時間を含め、なるべく不規則に行動して予知されにくくすることをお勧めします。
ただし、ルートを変えるためにわざわざ危険な脇道を通ったり、必要以上に遠回りしてしまっては本末転倒です。
車のスピードを落とさずに済むよう、できるだけ舗装された大通りを選びましょう。

○用心を怠らない
赴任当初は安全に気を配っていても、何か月、何年も現地で生活し「慣れ」が生じてくると、当初注意していた点を忘れがちになり、思わぬ被害に遭うことがあります。
その上、現地の治安状況が予期せず大きく変化することもありますので、家族全員、会社全体で定期的に日頃の安全対策を見直す機会を持つことが大切です。

(以上、カンボジア日本国大使館「防犯の手引き」より引用)

アンコール・ワットの入場料

アンコール・ワットの入場にはチケットが必要です。
観光客は、空港からアンコール・ワットに向かう途中のシェムリアップの町中などにあるコントロールゲートで購入するのが一般的です。
あるいは、シェムリアップのツーリスト・オフィスでも扱っていますし、現地の旅行社で手配してもらうことも可能です。
拝観料は、1日US$20、2~3日US$40、4~7日US$60です。
当日中は何度でも出入り可能です。

本来、アンコール・ワット周辺に点在する各寺院を拝観するにも料金が必要なのですが、上記のチケットを持っていれば、個別に支払う必要はありません。
つまりは途上国によくある事なのですが、アバウトなのです。
実際、拝観システムはきちんと整っていないのが現状のようで、正規のものとは別に安いチケットが出回っていたりもします。
チケットの購入には顔写真が必要です。
アンコール・ワットを訪れる予定がある人は 3センチX4センチの写真を1枚、日本から用意していってください。

ツーリスト・オフィスでは、町の情報をはじめ、遺跡群の地図も入手できます。
住所:No.3,St.139
電話番号:(063)963-996
(7:00~11:30、14:00~17:00)
*土日祝日は休みです。
午後は閉まっていることが多いため、午前中に訪ねることをお勧めします。

カンボジアの国民のほとんどは敬虔な仏教徒です。
たとえ旅行者でも、アンコール・ワットをはじめとする寺院の拝観の際や、それ以外の外出の際もあまり肌を露出した服装は避けたほうがいいです。
とにかく暑い国です。
タンクトップや半そで半ズボンよりも、むしろ長袖の通気性のよいシャツをはおっていたほうが直射日光がさえぎられるため快適です。