2008年3月31日月曜日

アンコール・トム

アンコール遺跡の観光拠点であるシェムリアップへは、カンボジアの首都プノンペンから空路で入るのが一般的です。
カンボジア航空が毎日3~4便往復運行しています。
所要時間は50分程度です。
その他、タイから直接カンボジアのシェムリアップへ入るルートもあります。
バンコクからカンボジア航空、バンコク・エアウェイズ、タイ航空が運航しています。
所要時間は約1時間です。

巨大な都城であるアンコール・トムは、9世紀に即位したヤショーバルマン一世がアンコールの地王都と定め、4キロ四方の大環濠都城を建造したことに始まります。
アンコール・トムというのは クメール語で"大きな都市" を意味します。
ヤショーダラプラ(ヤショーバルマン王の都城)と呼ばれ、それから約550年間にわたって、都城と寺院が建設されることになるのです。
アンコール(クメール)王国は、12世紀末から13世紀初め、ジャヤバルマン7世のときに最盛期を迎えます。

アンコール・トムは、大寺院アンコール・ワットの北に隣接し、周囲を濠で囲まれています。
内部には王宮や寺院など、80を超える石造遺跡があります。
その代表的な建物がバイヨン寺院です。
バイヨン寺院の49ある尖塔の上部には観音菩薩の4面像が刻まれています。
つまり、196にもなるのです。
普段、宗教とは無縁の生活を送っている私でも四方八方から巨大な菩薩の顔に囲まれると、敬虔な気持ちになるから不思議です。
かすかに微笑むその笑いは"クメールの微笑"と呼ばれ、カンボジアの500リエル紙幣に印刷されています。

インド文化の受容

インド文化は、東南アジア一帯に大きな影響を与えました。
カンボジア(クメール)は、紀元前からインド文化の影響を受け港市国家として発展し、インドシナ半島南部に栄えました。
海のシルクロード上の貿易上の中継地点にあったことから、インド、中国、そしてローマ帝国とも交流があったようです。

インドは紀元前後からモンスーンを利用した貿易船によって現在のカンボジアの地を訪れ、土着の文化にインド的世界観を浸透させました。
そしてこの文化基盤がアンコール時代の繁栄の基礎をなしたのです。

●ラーマーヤナとマハーバーラタ

インドから伝わった文化のなかでも、カンボジア民衆に愛されたのは、インドの長編叙事詩"ラーマーヤナ" と"マハーバーラタ" です。
このふたつの冒険と闘争の物語は、タイにおいてもインドネシアでも民話などを取り入れながら、それぞれの地域版を生み出していきました。
カンボジアにおいても同様で、カンボジアの農村で独自の物語として展開することになります。
カンボジアの人たちは、この物語をもとに影絵劇 "スパエク"をつくり、民話なども取り混ぜていったのです。
カンボジア版の"ラーマーヤナ"物語として"リムケー"が知られています。

●ペッサンタラジャータカ

"リムケー" が "ラーマーヤナ" のカンボジア版であるように、カンボジアには他にも外来の文化を自国版に置き換えたものがあります。
それが "ペッサンタラジャータカ" です。
釈迦誕生以前の前世時代の物語である"ジャータカ"(本生譚)の一部をカンボジア版に置き換えたものです。

2008年3月30日日曜日

アンコール・ワットの壁画彫刻

アンコール遺跡群のひとつ、アンコール・ワットは、12世紀に建立された巨大石造寺院です。
寺院は、周りを取り囲む濠と参道、3つの回廊、および中心の5基の塔から成ります。
東西1.4キロメートル、南北1.3キロメートルにおよぶ外周の濠を自分の足で歩いてみると、その壮大さを実感する事ができます。

アンコール・ワットは、古代インドの影響と土着の文化がその基盤をなしているといわれます。
現在では、仏教寺院としての体裁を整えていますが、建立当時は、クメール人(カンボジア人)が信仰していたヒンズー教の寺院だったのです。
インドの影響とヒンズー教の影響の痕跡は、その3つの回廊に掘られた壁画彫刻にみることができます。
3つの回廊では、緻密で豪華絢爛なレリーフに圧倒されます。

第1の回廊には、古代インドの長編叙事詩 マハーバーラタ や ラーマーヤナ などに取材された物語が彫られています。
第2回廊には、ヒンズー教神話の天地創造神話、「乳海攪拌図」があります。
「乳海攪拌図」は、左半分には阿修羅、右半分には神々がいて、ナーガ(大蛇)の胴体で綱引きをしているものです。
足元には、魚やワニがうごめき、頭上にはアプサラ(天女)が踊っています。

綱の中心で指揮をとるのは亀の背にのったヴィシュヌ神です。
そして第2回廊から第3回廊へと向かう中では、内壁のデバダ神が柔和な表情で迎えてくれますが、それは見ほれてしまうほどです。
優雅が踊り、華奢な髪飾り その繊細さは神々しさを放っています。
インド叙事詩やヒンズー教の物語の知識を持った上で見てみるると、実に見ごたえのある壁画彫刻であることが実感できます。

2008年3月29日土曜日

タ・プローム

アンコール王朝の王都として9世紀に始まった大環濠都城の建設は、その後550年間にわたって建設が続けれら、アンコール・トム(都城)、12世紀にアンコール・ワット(大石造寺院)が建設されました。
15世紀に最盛期を迎えたアンコール王朝でしたが、15世紀半ばにタイ(当時はシャム)のアユタヤ朝の侵略をうけ、衰退の一途をたどります。
王都は陥落し、都は各地を点々とすることになりました。
そして、かつてあれほど栄華をきわめたアンコールは都市としての機能を失い、廃墟として捨て置かれることになりました。
ジャングルの奥地で長年の眠りに就くことになったのです。

そのアンコールの遺跡群は今から100年ほど前、ひとりのフランス人博物学者アンリ・ムーオによって再発見されることになったのです。
彼は、1860年にジャングルの奥地、原生林に埋もれたアンコール・ワットを初めて目にしたときの感動を次のように述べています
(『カンボジア・ラオス諸王国王旅行記』より引用):
"森の彼方の広大な地域に、円屋根や五つの塔を見つけた巨大な柱廊をそびえていた。
(中略)紺碧の空のもと静寂の背景をなす森の深緑の上高く、美しくまた荘重なこの建物の力強い線を見出したとき、私はその巨大な輪郭に一種族全体の墳墓を見出したような感じを受けた"

タ・プロームは、発見当時のままの姿を残す寺院です。
12世紀から13世紀にかけてヤバルマン7世が母親を弔うために建立しました。
発見当時のままガジュマルの太い根が張っており、ジャングルのなかで自然と共存してきた遺跡の過去を物語っているようです。

2008年3月28日金曜日

パンテアイ・スレイ

アンコール・ワットから40km北西にある パンテアイ・スレイ は、10世紀に建立された小さな遺跡です。
薄紅色の砂岩で造られた寺院は、小さいながらもそこに訪れる観光客が息を呑むほどのすばらしい魅力を放っています。
その壁面はヒンズー神話をモチーフにした華麗な装飾で埋め尽くされています。
その彫刻は、アンコール遺跡のなかでも最高の出来といわれるほどの素晴らしさです。
特に中央祠堂には、"東洋のモナリザ" と呼ばれる、デバダー(女神)や、守門神ドゥヴァラパーラのレリーフが残されています。
繊細で優美、かつ荘厳な美しさに、アンコール遺跡を訪れた人たちのなかには、ここが最も感動した 感想を述べる人も少なくありません。

アンコール・トムやアンコール・ワットのある地区周辺からは、バイクタクシーを使ってのアクセスも可能です。
所要時間は3時間程度です。
しかし道中の安全には不安が残ります。
道路事情が悪いだけに留まらず、強盗などの犯罪の危険が伴うのです。
外務省は観光を控えるよう呼びかけていますが、見逃すには惜しいところなんです。
もし訪れるときには、事前に現地での最新かつ確実な情報を入手してください。

町の情報はツーリスト・オフィスで入手する事ができます。
遺跡群の地図も手に入ります。
アンコール遺跡群の入場券も扱っていますので、シエムリアプに到着したらまず先に訪ねるといいでしょう。
午後は閉まっていることが多いので要注意です!
その他、ホテルやレストランなどでは情報ノートが置かれ、旅人同士の情報交換ができるようになっているところも珍しくありません。

カンボジアの現在

貧困、内戦、飢餓、難民、そして地雷。
日本人がカンボジアという言葉から連想するイメージは、暗いものばかりかもしれません。
ようやく戦火が収まったとはいえ、20年間近くこの国を舞台に繰り広げられていた戦争は、今もなお、あまりも痛々しい傷跡を残しています。
市場経済の導入は、人びとに格差をもたらしました。
貧富の差は、この国においては私たちの想像を絶するほどです。

地雷の撤去が必死に進められているにもかかわらず、今もなお、ジャングルには数多くの地雷が残ったままです。
その犠牲者の多くは、子どもたちです。
地雷を警告する文字が読めないために、危険区域に入ってしまうからです。
祖国を離れた、離れざるを得なかった人びとは数知れません。

これらはすべて現実です。
しかし、カンボジアは今、元気を取り戻しつつあります。
悲しいことですが、カンボジアではポル・ポト時代に男たちがたくさん殺されました。
そのため現在のカンボジアには、女性と子どもたちの姿ばかりです。
それでも、働き手を失ったこの国で女性たちはたくましく一家を支え、国を支えています。
路地には、子どもたちの屈託のない笑顔が溢れています。

稲作を中心とした農業がこの国の産業の中心です。
5月の雨季の開始と共に、田植えが始まります。
11月頃には黄金の稲穂が頭を垂れ、収穫を迎えます。
雨季といっても猛烈なスコールが1時間ほど襲ってくる程度です。

今、まさに発展のスタートを切ったこの時期のカンボジアを訪れ、その活力を目の当たりにする事で、もしかしたら私たちが忘れてしまっていたなにかを得られるかもしれません。

アンコール王朝の隆盛と衰退

アンコール王朝(クメール王朝)は、現在のカンボジア人(クメール人)が5、6世紀から勢力を拡大し、9世紀にヤショーバルマン一世が巨大な都城、ヤショーダラプラ(ヤショーバルマン王の都城)を建設したことからますます隆盛を極めていきます。
現在のアンコール遺跡群は、ヤショーバルマン一世の建築から約550年間にわたり建築され続けてきた都城(アンコール・トム)であり、11世紀に建設された大寺院(アンコール・ワット)なのです。

○アンコール王朝の最盛期

アンコール王朝は一時期、インドシナ半島に伸張してきた近隣勢力によって占領されたこともありましたが、すぐに復権し、ジャヤバルマン七世の統治下で、空前の繁栄を実現しました。

その勢力は、インドシナ半島の大部分を占めるほどになったのです。
王は道路網を整備し、街道には121箇所の宿泊所を設置したといいます。
さらに国内には102箇所に病院が建てられたのです。

○アンコール王朝の衰退

ジャヤバルマン七世の統治下で最隆盛を極めたアンコール王朝でしたが、ジャヤバルマン七世の死後、その国力は急激に衰退しました。
15世紀(1432年)には、シャムのアユタヤ朝によって攻略されました。
そしてアンコール王都は陥落しました。
その後、もともとプノンバケンの小丘にあった都は、スレイサントール、プノンペン、ロベック、ウドンへと点々とすることになります。
そして西のシャム(タイの勢力であるアユタヤ朝、バンコク朝)、東のベトナム(グエン朝)に領土を侵食されながら近代へと至ったのです。

魅力的なカンボジアの小都市

カンボジアの都市

カンボジアの都市はどこも規模が小さいのが特徴です。
首都プノンペン、アンコール遺跡観光の拠点でありかつてのアンコール王朝の都シェムリアップ、港市コンポンソム、北西部の大穀倉地帯バッタンバン、そしてメコン川流域のコンポンチャムなど魅力的な都市がたくさんあるのですが、首都プノンペンを除くと、人口は2、3万人程度の小規模な都市がほとんどです。
カンボジアの都市は、もともと河川沿いの都市(港市)が商業的に発達してきたものや、フランスの植民地時代に州都として人工的に開発されたものが大部分です。

現在も人口の大部分は農村部に居住しています。
カンボジアの地図をみると、"コンポン" という地名がよくついていることがわかるでしょう。
コンポンというのは、港や渡し場の意味です。
川の近くの都市には多く見られます。
たとえば、フランスの援助によって1960年につくられたカンボジア最大の貿易港、"コンポンソム"、プノンペンから北西約100キロのメコン川沿いにある"コンポンチャム"などがそうです。

コンポンソムは現在、特別市に認定されています。
美しい海岸線がタイランド湾(シャム湾)に続いています。
高級別荘地としても有名です。
一方、コンポンチャムは、メコン川の恵みを受け、天然ゴムの栽培が盛んです。
米、トウモロコシなどの作物の集積地であり、河川交通の要所にもなっています。
カンボジアを訪れる旅人は、首都プノンペンやアンコールの都シェムリアップだけしか訪れない人が多いようです。
しかしメコン川やトンレ・サップ湖など、水域の魅力を訪ねる旅もお勧めです。

プノンペンとシェムリアップ

首都プノンペン

"プノンペン" というのは クメール語で "ペン婦人の丘" を意味します。
熱心な仏教徒であるペンという豪族の夫人が、洪水のときに流れ着いた四体の仏像を小高い丘 "プノン" に安置したという伝説からこの名がついたという事です。
王宮の前でメコン川とサップ川が合流し、すぐ下流でメコン川本流とバサック川に分流する地点、チャド・モックに位置します。
チャド・モックとは、"4つの面" を意味する言葉です。
現在は商業の中心都市です。
かつてはアンコールの外港として栄え、17世紀には日本人町もあったとされています。

シェムリアップ

"シェムリアップ" というのは、"シャム(タイ)の征服" という意味です。
1907年にフランスがタイから譲り受けるまでは、この地はタイ領だったのです。

シェムリアップは、アンコール遺跡群のある町として知られています。
大環濠都城アンコール・トム、巨大な寺院アンコール・ワットを始めとするアンコール遺跡群は、東南アジアで最大級の石造大伽藍群です。
アンコール王朝は、現在のタイであるシャムのアユタヤ朝に15世紀に侵略を受ける前、ジャヤバルマン7世の統治下で最盛期を迎えました。
ジャヤバルマン7世は道路網を整備して街道に121箇所の宿泊所を置き、国内の102箇所に病院を建てたといわれます。

かつてこれほどの隆盛を極めた王朝ですが、その後衰退の一途をたどり、19世紀にフランスの博物学者アンリ・ムオーによって、アンコール遺跡群が再発見されるまで、ジャングルのなかで静かに眠っていたのです。

現在シェムリアップは、人口約6万人程度の小さな都市であるにもかかわらず、森と湖と遺跡を訪れる旅人であふれ、この国最大の観光地となっています。

現地ツアーを活用する

カンボジアは、アンコール遺跡のあるシエムリアプでさえ比較的小さな都市のため公共交通が発達していない事もあり、陸上の移動は不便を強いられます。
また、遺跡周辺は比較的安全とはいえ、観光ルートから外れると危険がいっぱいです。
地雷もあり、強盗に襲われたという話も尽きません。
これは脅しではなく現実に起こっているのです。
そういった理由から、よほど現地の事情に詳しくない限り個人旅行、特に女性の一人旅はお勧めできません。
日本からのツアーでない場合は、現地の旅行社に連絡し、現地ツアーへの申し込みを検討してください。

たとえば、カンボジアの旅行社、ロコモトラベルでは、さまざまなツアーを催行しています。
日本人のスタッフも駐在していますので、事前に、または現地についたら連絡をとってみるとようでしょう。

ロコモトラベル 現地事務所
プノンペン事務所
#12, 315 St,. Sangkat Boeung Kok 1, Khan Toul Kok, Phnom Penh, Cambodia
Tel. +855-23-881145
Fax. +855-23-366600

シエムリアプ事務所
No.103, Mondol I Svay Dangkum,Siem Reap
Tel.+855-12-752422
Fax.+855-63-964910

現地発ツアー(一例)

○トンレサップ湖クルーズ
○バンテイスレイ観光
○半日コース(プレヤカン、ニャックポアン、タソム、東メボン、プレループ)
○ロルオス遺跡群(バコン、プリアコー、ロレイ)
○アンコールワット半日観光
○アンコールトム半日観光(南大門、バイヨン、バブーオン、王宮跡、ライ王のテラス、象のテラス)
○アンコールワット日の出鑑賞
○クバールスピアン(クレーン山)観光

その他、ホテルでの料理教室や、空港の送迎などもあります:
○クメール料理教室(ラッフルズグランドホテル)
○シエムリアプ・空港送迎

詳細は直接、現地のロコモ事務所にお尋ねください。

2008年3月27日木曜日

名物カボチャプリン

カンボジアの名物デザートといえば、かぼちゃの皮を器に使ったカボチャプリンが有名です。
ココナツミルクが入っているのが特徴です。
卵がたっぷり使われていて、器のカボチャごと食べられる栄養満点なデザートです。

その豪快さとユニークさで、是非挑戦してみたい気持ちにさせられます。
作り方はいたって簡単。
お子さんが喜ぶこと間違いなしです。
パーティなどで用意すると大いに盛り上がると思います。

カボチャプリン
◆材料
・カボチャ・・・中1個
・卵・・・7個
・ココナツミルク・・・200CC
・砂糖・・・100g
・塩・・・小さじ1/2
・小麦粉・・・大さじ1

◆作り方
1.器として使うカボチャを用意します。
カボチャはナイフでへたの部分を3~4センチ四方に切り取ります。
へたはあとでふた代わりに用いるので捨てずにとっておきます。

*カボチャは硬いので、全体を水にくぐらせたあと、レンジで1分加熱すると柔らかくなって、へたをくり抜きやすくなります。
*ナイフを入れるときは、少し中心に向かって入れるととりやすいです。

2.スプーンで種とわたをきれいにくり抜きます。
水洗いしてよく水気をきります。

3.フィリングを作ります。
卵を割りほぐし、ココナツミルク、砂糖、塩、小麦粉を混ぜ合わせます。
裏ごし器でこすと出来上がりが滑らかです。

4.2でくり抜いたカボチャのなかに3を流し入れます。
裏ごし器でこしながら入れるといいです。

5.ヘタをのせ、蒸し器で蒸します。

6.最初は強火で10分位、後は弱火にして1時間ほど蒸します。
竹串を真ん中に刺してみて、何もついてこなくなれば出来上がりです。
放射状に切り分けてお皿に盛って出来上がりです。

在カンボジア日本大使館

日本人旅行者が事件に巻き込まれてしまったり、あるいは何か危険な目に逢ったりしたとき、現地で頼りになるのは在カンボジアの日本大使館です。
カンボジアに限りませんが、日本国大使館では現地に居住する、または旅行する日本人向けに危険情報を提供しています。
以下、旅行者にとっても非常に有用な注意を引用してご紹介します。

カンボジア旅行出発前に、外務省の危険情報とともにカンボジア日本国大使館のホームページをご覧になることをお勧めします。

「防犯の手引き」

安全のための3原則
安全のための3原則とは、"目立たない"、"行動を予知されない"、"用心を怠らない" ことです。
これは当然のことのようにも思えますが、この3原則を確実に守って生活することが最も重要であり、同時に最も困難なことかもしれません。

○目立たない
外国人は常に地元の人々に注目されています。
何気ない言動が一際目立ったり、大きな反感を買ってしまう場合もあるので、日本での常識や生活様式をそのまま持ち込まないように注意しましょう。
例えば派手な服装・装飾品を身に着けたり、現地では珍しい車に乗ったり、公共の場(レストラン、ショッピングセンター、ホテルなど)で周囲をはばからず当国の政治、宗教、文化、習慣、生活環境などに批判を加えることは、目立ったり反感を買うばかりでなく、そうした噂が犯罪者等の耳に入って、標的に選ばれてしまう危険性をも生みかねません。

○行動を予知されない
行動のパターン化(通勤、買物、レジャー、外食等の際に移動ルートや時間が定型化すること)は犯罪者等の襲撃計画を容易にします。
移動の際のルートや時間を含め、なるべく不規則に行動して予知されにくくすることをお勧めします。
ただし、ルートを変えるためにわざわざ危険な脇道を通ったり、必要以上に遠回りしてしまっては本末転倒です。
車のスピードを落とさずに済むよう、できるだけ舗装された大通りを選びましょう。

○用心を怠らない
赴任当初は安全に気を配っていても、何か月、何年も現地で生活し「慣れ」が生じてくると、当初注意していた点を忘れがちになり、思わぬ被害に遭うことがあります。
その上、現地の治安状況が予期せず大きく変化することもありますので、家族全員、会社全体で定期的に日頃の安全対策を見直す機会を持つことが大切です。

(以上、カンボジア日本国大使館「防犯の手引き」より引用)

アンコール・ワットの入場料

アンコール・ワットの入場にはチケットが必要です。
観光客は、空港からアンコール・ワットに向かう途中のシェムリアップの町中などにあるコントロールゲートで購入するのが一般的です。
あるいは、シェムリアップのツーリスト・オフィスでも扱っていますし、現地の旅行社で手配してもらうことも可能です。
拝観料は、1日US$20、2~3日US$40、4~7日US$60です。
当日中は何度でも出入り可能です。

本来、アンコール・ワット周辺に点在する各寺院を拝観するにも料金が必要なのですが、上記のチケットを持っていれば、個別に支払う必要はありません。
つまりは途上国によくある事なのですが、アバウトなのです。
実際、拝観システムはきちんと整っていないのが現状のようで、正規のものとは別に安いチケットが出回っていたりもします。
チケットの購入には顔写真が必要です。
アンコール・ワットを訪れる予定がある人は 3センチX4センチの写真を1枚、日本から用意していってください。

ツーリスト・オフィスでは、町の情報をはじめ、遺跡群の地図も入手できます。
住所:No.3,St.139
電話番号:(063)963-996
(7:00~11:30、14:00~17:00)
*土日祝日は休みです。
午後は閉まっていることが多いため、午前中に訪ねることをお勧めします。

カンボジアの国民のほとんどは敬虔な仏教徒です。
たとえ旅行者でも、アンコール・ワットをはじめとする寺院の拝観の際や、それ以外の外出の際もあまり肌を露出した服装は避けたほうがいいです。
とにかく暑い国です。
タンクトップや半そで半ズボンよりも、むしろ長袖の通気性のよいシャツをはおっていたほうが直射日光がさえぎられるため快適です。