アンコール王朝(クメール王朝)は、現在のカンボジア人(クメール人)が5、6世紀から勢力を拡大し、9世紀にヤショーバルマン一世が巨大な都城、ヤショーダラプラ(ヤショーバルマン王の都城)を建設したことからますます隆盛を極めていきます。
現在のアンコール遺跡群は、ヤショーバルマン一世の建築から約550年間にわたり建築され続けてきた都城(アンコール・トム)であり、11世紀に建設された大寺院(アンコール・ワット)なのです。
○アンコール王朝の最盛期
アンコール王朝は一時期、インドシナ半島に伸張してきた近隣勢力によって占領されたこともありましたが、すぐに復権し、ジャヤバルマン七世の統治下で、空前の繁栄を実現しました。
その勢力は、インドシナ半島の大部分を占めるほどになったのです。
王は道路網を整備し、街道には121箇所の宿泊所を設置したといいます。
さらに国内には102箇所に病院が建てられたのです。
○アンコール王朝の衰退
ジャヤバルマン七世の統治下で最隆盛を極めたアンコール王朝でしたが、ジャヤバルマン七世の死後、その国力は急激に衰退しました。
15世紀(1432年)には、シャムのアユタヤ朝によって攻略されました。
そしてアンコール王都は陥落しました。
その後、もともとプノンバケンの小丘にあった都は、スレイサントール、プノンペン、ロベック、ウドンへと点々とすることになります。
そして西のシャム(タイの勢力であるアユタヤ朝、バンコク朝)、東のベトナム(グエン朝)に領土を侵食されながら近代へと至ったのです。
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